「た……かぁんねねねねねねねねねねねねね」 明らかにおかしい挙動で壁に打ち付けられ、波風ちゃんは氷のように溶け出し、狂ったロボットのように機械的でノイズの走った声を発する。 溶け出た汁は濃緑色のゲル状になり私の足元にピッタリひっつく。 「たぁ……すぅ……けぇ……てぇ……」 ゲル状の中から赤黒い臓器がぶくぶくと浮かび上がってくる。その形は私の記憶を刺激し呼び起こすものだった。 ドクンドクンと鼓動し私の眼前に迫ってくる。 「たか……ね。アンタだけは……えがおで……それがあた……しの、のぞ……み……………だか…………ら……………」 あの時と全く同じセリフだ。同時にグシャリと眼前の心臓が握り潰される。 中から赤黒い血液が吹き出しゲルに飲み込まれていく。それが私の足を掴み這い上がり、服の中を通って首元までくる。 「うっぷ……」 鉄臭い血の匂い。胃の中のモノを全てひっくり返したような酸っぱい匂い。この世の不快な匂いを全て混ぜたようなものが私の鼻をつく。 「何で助けてくれなかったのぉぉぉぉ!!!」 ゲルが突然ハッキリと言葉を発する。そして私の罪へ制裁を加えるようにポカンと空いていた口にゲルが流れ込む。舌を伝うおおよそ人が口に入れてよい物ではない味。それによって更に高まる不快感。 今私の記憶は呼び起こされた。 (そうだった……波風ちゃんは……私が殺したんだ) 全て思い出した。私がキュアヒーローとして戦っていたこと。生人君が宇宙人だということ。私が油断したせいで波風ちゃんを死なせてしまったこと。 「あ……はは……」 小さく自虐的に笑う。生人君にすら届かないくらいの声量で。自分を傷つけてせめて裁かれようと。 (あ……いい物があるじゃん) 部屋の隅にやった花瓶の破片。あの鋭利で尖った物。救いの手を差し伸べるように太陽光を反射させ私の瞳に映る。 「あぁぁぁぁぁぁあ!!!」 「高嶺!!」 絶叫と共にそこまで走り花瓶の破片を握り締める。手を裂き血が滲むがそんなこと関係なく私は躊躇いなくその先を首へ突き刺すのだった。 血が数的ポタポタと垂れる。本来ならカーテンにかかるくらいの量が飛び出るはずだというのに。直前で触手が私の手を掴み止めてくれたせいで私は九死に一生を得てしまった。 「だめだよ……死んで逃げるなんて。それは
「やった! 波風ちゃんに勝てた!」 健橋先輩が帰った後、数回目の勝負でやっと私は波風ちゃんに勝つことができた。波風ちゃんの買ったゲームなので彼女の方が上手だったが、今回やっと勝利をもぎ取ることができた。 「はぁー負けちゃったわ。今日中に追いつかれることはないと思ったんだけどね」 波風ちゃんはコントローラーを置き水を一杯飲み干す。喉に入れたはずの水が地面に溢れカーペットを濡らすが私はそれを無視する。見なかったことにする。 「そういえば今日も泊まってくの?」 「もちろん。当たり前でしょ? だってアタシと高嶺はずっと一緒なんだから。毎日お泊まりするわよ」 「えへへ……毎日かぁ」 受け止めきれないくらいの幸福に、多幸感ににやけ顔になってしまう。 「そうだね……ずぅ〜と一緒だもんね!」 私は波風ちゃんに抱きつき逃がさないように力いっぱい掴む。 温もり、匂い、柔らかさ。全てが彼女がそこに居ることを証明してくれている。やっぱり彼女が居ないだなんて周りがおかしいのだ。 だから私は今あるこの幸せを享受する。 「ちょっと暑苦しいって……!!」 波風ちゃんはくっつきすぎた私を引き剥がしつつも一定の近距離も保つ。お互い離れたくないという想いがあり、体がちょこんと触れ合う距離で微笑み合う。 「えへへ……大好きだよ波風ちゃん」 温かさや羞恥心により火照った顔で美麗な彼女の顔を見て惚気る。 「アタシもよ……」 今度は彼女の方から私を抱擁してくれる。温もりを私と分けてくれる。 互いに身を寄せ合いもっと先へ行こうとするが、そんな私達をインターホンが引き止める。 「先輩……? いやインターホン押さないはずだし……ちょっと見てくるね!」 ☆☆☆ ボクは高嶺の家に着きインターホンを鳴らす。 「あっ! 生人君!」 中からは何事もなかったかのように高嶺が笑顔で、それでも光が失われた空っぽなものを二つ露出させながら出てくる。 「神奈子が時間かかるって言ってたから伝えに来たよ。それで……ボクのことは分かるの?」 「どういうこと? 生人君は健橋先輩の弟でしょ? だから伝えに来てくれたんだよね?」 全く違うことをさも当然のように語り、それを一切疑おうとしない。自分を守るために。話が全く噛み合わない。神奈子が逃げてしまうのも納得だ。 「
「あんな姿見てられねぇよ……」 どこに向かうわけでもなく、アタイは背負いきれないモノを振り下ろさずその重さに押しつぶされそうになりながらも道を歩く。ふと広い公園が目に入り、そこのベンチに腰をかけ頭を抱える。 「神奈子……」 テレパシーで呼んだわけでもないのに、偶然桐崎が通りかかってアタイの横に座る。自分同様重々しい空気で息をすることすら辛そうだ。 「どう……だった? 高嶺の様子は?」 「海原の幻覚を見てた。誰も居ない所を指差して、そこにアイツがいるかのように振る舞って……指摘されると暴力を振るって。何かに取り憑かれているみたいな、別人のようだった。あんなのもう見てられねぇよ……!!」 「高嶺……何でこんなことに……!!」 膨れ上がる無力感と罪悪感が自分達の正気を蝕む。もし今一人だったら本当に気が狂っていたかもしれない。 「神奈子……見たかい? 昨日の配信について語られているネット掲示板を」 「いや……生憎スマホもパソコンも持ってないから知らないな」 「キュアウォーターが高嶺だってこと……バラされてる」 「なんだって!?」 奪い取るようにしてスマホを取りその画面に書かれている情報を読み取る。 この前の海原が殺された配信。あの時のせいでキュアウォーターとキュアイリオの正体がバレてしまっていた。キュアリンはすぐに配信を切っていたが間に合わなかったのだ。 不幸中の幸いかアタイとノーブルについてはまだバレていないが、色々な憶測が飛び交っている。 「なんだよこいつら……!!」 その中には心無いコメントがいくつもあった。死んだのはウォーターのせいだとか、中身がただの中学生でがっかりしただとか。酷いものだと殺害をほのめかすようなものもある。 「ざけんなよ……アイツが今どんな気持ちでいるか……!!」 アタイはスマホを叩き割ってしまう前に返却しておきその怒りをベンチにぶつける。背もたれの板の一本が真ん中からバキリと割れ破片が地面に飛び散る。 何もかもが悪い方向に向かっていってしまっている。海原は死に、天空寺の精神が壊れ、世間からの意見もこの有り様だ。他の媒体のSNS等も見せてもらったが面白がる人が一割、心配する人がほとんどといった感じだ。 (この状態じゃ希望が集まらない……キュアヒーローの力が弱体化して奴らに勝てなくなる)
「ねぇねぇ酷いよねみんな。波風ちゃんを居ないように扱って……」 「あ、あぁそうだな。いじめなんて許せないよな」 とりあえず天空寺を錯乱させないために話を合わせておく。帰り道歩いている間ずっと誰も居ない方に話しかけており、隣を通った人などから奇異の目で見られるが彼女は気にも留めない。周りが一切見えておらず、自分と幻覚の親友の世界に入り込んでいる。 本当に隣に大親友がいるかのように、口を休める間もなくずっと話し続ける。こちらにも偶に振られるが、短く適当な返ししかできない。アタイには海原の言っていることなど一切分からないのだから。 「やっぱり健橋先輩は義理堅くて優しいなぁ。でしょでしょ……あ、確かに! そういうところあるよね先輩は!」 「そ、そうだな……あはは」 アタイ達はこんな不気味な二人三脚をしながら同じ制服の子らと逆の道を辿る。 そうこうしないうちに天空寺家まで着きアタイは彼女の部屋に上げてもらう。 「うっ……!?」 部屋の中は目も当てられない有り様だった。散らかり具合もそうだが、ところどころ血痕が付着していたり引き裂かれたぬいぐるみだったり。痛々しく目も当てられない。 「ごめんね先輩。ちょっと散らかってて。今片付けるから」 割れた花瓶の破片を蹴り隅に寄せ、そこに血液が付着したバラバラのぬいぐるみを次々に放り捨てる。 「さ! 三人でゲームでもしよ!」 「そう……だな」 今すぐにここから逃げ出したかった。もう見ているだけで辛い。こっちまで心が壊れそうになる。 だが天空寺を放っておくわけにもいかない。アタイは渡されたコントロールを握り、二人でパーティーゲームを始める。 「モードは三人でNPCが一人になっちゃうけど……」 彼女はぶつぶつと呟きながらゲーム設定やキャラ選択を進めていく。画面にはプレイヤー二人にNPCが二人と機械らしく残酷な現実を容赦なく突きつけてくる。 「あ〜えっと、あの水色の服のと紫色の、どっちが波風なんだ?」 「……」 天空寺は何も返答しない。黙ってカタカタとコントローラーを操作する。 「ねぇ先輩。波風ちゃんのこと無視しないでよ」 手をピタッと止め、声のトーンを二段階下げて光のない瞳をこちらに向ける。 「えっ、あ、すまない聞き逃してた。そうかキャラの下の方にちゃんと書いてあったなすま
「こんなの……こんなことって……!!」 アタイは見えない、天空寺がそこに居ると言い張る海原と話しながら登校する彼女を止めることができなかった。偽りといえどあの笑顔を奪うなんて残酷すぎるから。 「あの……君は高嶺のお友達……なのかい?」 アタイが庭で呆然としていると彼女の父親が家から出てくる。自分同様に狼狽の色が濃く顔に張り付いている。 「はい……その……」 「高嶺に……波風ちゃんに何かあったんだね」 「そうです……」 歯切れが悪くなってしまう。話せるわけがない。こちらもまだ状況を飲み込めていない、認めたくないというのに。 「昨日帰って来てからずっとあんな調子なんだ。波風ちゃんなんて居ないっていうと、怖い顔で怒鳴ってきて物を投げて……いつもはあんなことする子じゃないのに……!!」 アイツから聞いた話では彼は義理の父親だという。なのに彼は血の繋がった父のように娘の豹変具合に本気で悲しみ膝から崩れ落ちる。 (このままじゃいけない……んなこと分かってんだよ。でも、どうすりゃいいんだよ……!!) 死という不可逆の事象。それが天空寺の心をズタズタに切り裂いたという変えようのない事実。 その二つは事態の解決が不可能だという等式を導き出しており、アタイは弱気にならざる得なかった。 「天空寺さん。あの子はアタイが、それに他の仲間達がなんとしてでも元に戻します。今まで通りの明るい彼女に。 だからあなたはあの子の帰る場所になってあげてください。変わらない、温かい居場所に」 「あぁ……すまない」 天空寺さんは立ち直り、拳を強く握り締める。アタイも弱音を掻き消してアイツの後を追いかける。 「鬼の神奈子だ……」 「最近学校に来るようになったけどやっぱり……」 相変わらずアタイが登校すると周りは怖がり、距離をとって小声でぶつぶつと陰口を言う。 (ちっ、毎日毎日ご苦労様なこと) だが今日は気にしている余裕なんてない。アタイは一直線で天空寺のクラスを探しに行く。 「だからそれやめてって言ってるでしょ!!!」 探し人は怒鳴り声と共に騒音を立ててくれていた。 「朋花ちゃんさっきからなんなの……? 波風ちゃんが死んだなんて冗談にしたって酷いよ!!」 教室を覗いてみるとそこには鬼のような形相を浮かべる天空寺の姿があった。彼女の目の
「今から配信で記録された映像を見せる……キツくなったらすぐに目を逸らしてくれ」 手負いのメサとライをなんとか退けた翌日。自分と桐崎と生人は呼び出されて桐崎家の彼女の部屋に集まっていた。 「そんな……波風……」 キュアリンとリンカルだけが持っているという配信の記録映像にはゼリルの顔が死んだ高嶺の父親と一緒だということ、そして胸を貫かれ絶命し海に放り捨てられる海原の姿が映っていた。 「うっぷ……!!」 心臓が握り潰される様を見て吐きそうになるが、なんとか堪えて喉元まで来た吐瀉物を飲み込む。酸っぱい味が口に染み込み、映像の光景もあって気分は最悪になる。 「そんな……こんなことありえない」 桐崎は全身から力が抜けたようにその場にへたり込んでしまう。キュアリンも動揺を露わにしていて配信を途中で切り表情を強張らせる。 「またか……」 事前に知っていたためか生人だけはどこか達観した様子で、冷静ながらも悲しげな顔をする。 「なぁ生人……天空寺はその後どうなったんだ?」 「分からない。テレパシーにも出ないし、一応昨日鳥に家を見させたけど家ではちゃんと寝てたらしい。行こうと思ったけど……なんて言葉をかけたらいいか……」 「クソ……とにかくアタイはあいつの様子を見てくる!!」 「ごめん……イクテュスの方はボクで警戒しておくから……そっちはお願い」 悲しさに悔しさに怒り。どう表現したらいいか分からず生人はもう喋らなくなったしまう。桐崎も今は動ける状態ではない。アタイだけで部屋を飛び出し天空寺の家まで走って向かう。 (もしかしたらあの角の向こうにイクテュスが……) あんな映像を見た直後のせいかもしもの不安に神経が削られ、自然と手がブローチへと伸びていた。 「ちっ……!!」 自分の中にある恐怖心を押し殺し、ブローチから手を離す。それでも自然と速度を上げて目的地へと向かってしまう。 (また……失ったのか?) アタイは翠が死にキュアヒーローの力を呪っていた。そんな時天空寺に救われ、あの二人の仲の良さを自分と翠の姿に重ねて見ていた。二人には無事でいてほしかった。守りたかった。昨日風呂場で桐崎と話したように。 だからこそ桐崎のあの精神の疲弊具合も痛いほど分かるし、アタイも気がおかしくなりそうだ。 「くそ……くそ!!」 守れなかった